Greeting/Historyご挨拶・沿革

Greetingご挨拶

ピュアハーツグループCEO 岡田秀春

エンタテインメントは、
世界を救い、みんなを笑顔にする!
歌うこと、演ずること
その思いを 届けたい
そして、世界を笑顔であふれさせたい

エンターテインメントで世界を笑顔であふれさせたい

〜音楽家、俳優を発掘し育て、そして上質な作品、舞台を提供する〜

音楽家、俳優を志す方々へ

株式会社ピュアハーツは、1998年に創業して、本物志向の、音楽家、俳優のマネジメント、コンサート制作、舞台制作への挑戦を続けています。 同時に社会貢献活動を担ってまいりました。

ここで、私の簡単なプロフィールを交えながら、今の思いを話したいと思います。
私は、昭和39年3月20日、長野県松本市に生まれました。
東京オリンピックの年です。

父は、昭和10年生まれ。その時代の男性に多い、男尊女卑の典型。
母や私等子供を怒鳴ることは日常茶飯事で、いつも心は切なくて折れていました。

そんな私に、光が射しました。
小学校5年生のある時、ラジカセでFMを聴いていると、ザ・ビートルズの特番で「ヘイ・ジュード」が流れたのです。

イントロ無しで、「ヘイ・ジュード」と語り掛けるような歌で始まり、印象的なメロディーが、次々と繰り出されていく。中間部から、オーケストラも加わり、盛り上がり、そして、エンディングの3分ほどは、同じフレーズを繰り返す。そこでの、ポール・マッカートニーのソウルフルなアドリブでのシャウトは圧巻です。 脳天を撃ち抜かれたような衝撃を覚えました。

今、思えば、これが、本物志向のエンターテインメントを作って行きたいと考える、きっかけだったといえるかもしれません。

上京して大学に入学、音楽に傾倒し、ジョン・レノンに代表される、愛、平和へのメッセージを持った、ボブ・マーリー、U2などにも大きな影響を受けました。そして、ボブ・ゲルドフが中心になって開催された、20世紀における世界最大のチャリティーコンサート、「ライブエイド」に、エンターテインメントが、世界を動かす様子を垣間見、感動し、大きな共感を覚えました。 卒業後、会社員生活を経て、あるきっかけで、エンターテインメントの世界に入りました。さまざまな仕事、人との出会いを経験しながらマネジメントに道を見いだし、自ら音楽家、俳優をマネジメントする為に独立し、1998年に株式会社ピュアハーツを設立。

そして、エンターテインメントを通じた社会貢献への飽くなき挑戦は、私がマネジメントしていた、オペラ歌手 故中島啓江と2000年に歩み始めた時に、強く一歩を踏み出しました。

<生涯の同志となる、中島啓江との出会い>

中島啓江と出会ったきっかけは、1999年に、彼女のビートルズのカバーアルバムCDのレコーディングでした。
レコーディング前に、彼女を知る為にコンサートに行くと、大きな衝撃を受けました。

大きな身体から繰り出される歌唱力の素晴らしさは元より、トークも素晴らしい。 彼女の歌う曲は、クラシックから童謡、昭和歌謡など多ジャンルに渡り、トークでその曲の紹介をしながら、時に強く、優しく緩急を付け観客の心を掴みます。 私が知るコンサートは、トークは少なく曲を演奏するものでした。

彼女のコンサートは、それとは一線を画していて、舞台に立ち、曲のイメージに合わせ自分自身を演出して演じているのです。
「一人舞台 歌唱役者」って言葉が的確に思います。
彼女のパフォーマンスを一言で言えば「引きずり込まれて行く」感じなのです。 ともかく「すごい」、本物です。圧巻でした。

その後、縁があり、2000年に彼女は弊社の所属となりました。

ビートルズの曲のレコーディングが縁となったことは、運命的なものを感じています。

彼女が、1994年に、銀座博品館劇場でスタートした「夢で逢いましょう」公演にも、2001年より関わるようになり、プロデューサーとしても成長させてもらいました。

この公演では、小林幸子さん、渡辺真知子さん、サーカス、研ナオコさん、錦織健さん他多くの歌手の方々をゲストに迎えたコンサートを行いました。それに留まらず、永六輔さん、立川志の輔さん、コロッケさん、森田健作さん等を招きジョイントトークショー、岡本知高さんや、オペラ歌手等とオペレッタを脚色して演劇も行いました。歌を交えながら、ラジオの司会者に扮した中島啓江の一人芝居も行いました。

14年間、中島啓江と一緒に作ってきましたが、彼女の急逝で幕を閉じました。 彼女の死は、私の大きな試練となりましたが、スタッフ、音楽家の仲間等に支えられて、立ち直り、今は彼女の志と共に前を向き歩んでいます。
大切な仲間を持って幸せです。

<ソプラニスタ木村優一>

その仲間の一人、ソプラニスタ木村優一は、私と共に中島啓江の意思を引継ぎ、テレビ、コンサート、ミュージカルで活躍しています。揺るがない、彼の音楽、演技に打ち込むストイックな姿勢には最大限の賛辞を贈りたい思いです。

<音楽で社会貢献を行うことへの思い チャリティーコンサート>

中島啓江と、阪神淡路大震災を忘れないために、10年の節目となる2006年から、手作りチャリティーコンサートを毎年、東京で行い、募金を集め、被災地に寄付を続けました。 仲間と知恵を出し合い、一歩を踏み出せば、自分等で音楽による社会貢献を行えることを学びました。

その経験が糧となり、中島啓江ほか仲間と共に、2009年に、「NPO法人 音楽で日本の笑顔を」を立ち上げ、地域住民が集まり合唱する合唱団「スマイル合唱団」「青春ポップス合唱団」を一都三県に作りました。音楽(合唱)を通じて、人と人とがつながり笑顔があふれる街作りのための社会貢献を薦め、今もたくさんの方々が各地域で歌っています。

合唱団の方々からも共感をもらい、寄付金を集め、被災地の南三陸町での心をつなげる合唱活動を行うようなりました。

私を何が動かしたか?

2011年3月11日に起きた、東日本大震災。被災地南三陸町をはじめ、宮城県の各所に行き、被災地の悲惨な模様を見た時に、「自分に何かできることはないか?」と自問自答し、スタッフと何度も話し合い、傷ついた心の復興のために、これまで取り組んできた合唱を通じて、少しでもお役に立ちたい、その思いが、行動するための原動力となりました。

被災地での合唱活動、それに留まらず、安田祥子さん他の力を借りて、南三陸町、東京でのチャリティーコンサートなども行ってきましたが、現在はコロナ禍でお休みしています。
しかし、音楽が人を動かし、そして社会に貢献する、その意義を感じながらこれからも活動を続けて行きたいと考えています。

<クラシックと芸能の融合することへの大きな挑戦、そしてクラシックを身近に>

中島啓江はいつも言っていました。
「オペラ、クラシックを、たくさんの方々に届け、もっと身近に楽しみ、生活の一部に」

その志を受けて、私は、オーケストラ演奏によるオペラ、ミュージカルを、一般の方々が、気軽に楽しめるように、クラシック音楽と芸能が融合する舞台を目指しています。

2016年には、渡辺正行さん、オペラ歌手たちとオペレッタ「こうもり」
2017に、どぶろっくの二人、オペラ歌手たちとオペラ「ひかりのゆりかご」
同年、西島数博さん、真矢みきさん、秋川雅史さん、東儀秀樹さん、ジョン・健・ヌッツオさんらとミュージカル「ドラマティック 古事記 ~神々の戦いと旅立ちの物語~」
2018年は、廣瀬智紀さん、木村咲哉さん、岡幸二郎さん、彩輝なおさん、月影瞳さん、折井あゆみさんらとオーケストラミュージカル「古事記~スサノオと美琴~」を作ってきました。

<オウンドメディア オペラハーツ立ち上げ>

現在は、コロナ渦で公演を行えませんが、何かできることはないかと思案に思案を重ね、
2021年より「オペラ、クラシックを身近に」をテーマに、ウェブ上にオウンドメディア「オペラハーツ」を立ち上げました。
このウェブメディアを通じて、一般の方々にクラシックを楽しむきっかけを提供していきたいと考えています。

<マネジメントに賭ける思い 3歳からマネジメント 青山和也>

中島啓江と築いた絆、マネジメントを礎に、俳優 青山和也を、2004年 3歳の時に発掘して、現在まで一緒に歩んでいます。テレビドラマ、映画、CMと子役時代に華々しい出演歴を持ちます。 子役から大人の役者に成長しなくてはならない、とても難しい時を迎え悩んでいたのですが、後述するプロデューサー阿久根裕行と出逢い、生きた演技の稽古を積むことで、この困難な時期を乗り越えるべく取り組んでいます。

<阿久根裕行氏とパートナーシップで、綾野剛主演 「アバランチ」の制作の一旦を担う

阿久根裕行氏とは、ここ数年、青山和也ほかの稽古で、頻繁に会うようになり、世界に目を向けた映像制作を行っていきたいと意気投合しています。そして俳優だけではなく、スタッフ、演出家、脚本家を育てて行くために、新たに(株)キネマスタジオを設立しました。

「良い作品」は突然、できるわけではありません。映像の部分でも、飽くなき挑戦をしていきます。

ここまで読んでくれた方に感謝します。 独立して、順風満帆とは言い難いもので、何度も挫折を味わってきました。

特別な才能があると思っていません、しかし、折れそうになっても立ち上がってきました。
信念を持ち続けて、努力する人にチャンスがあると思います。

「あきらめかけてもいい、くじけたっていい…
自分を見つめ直し、自分の良い部分、優れている部分を磨いてスタイルを作り、歌手、俳優として、私と一緒に歩みませんか。心を通わせ共に歩きましょう」

ピュアハーツグループCEO
岡田秀春

ピュアハーツグループCEO 岡田秀春

History沿革

1998年
株式会社ピュアハーツ設立。アーティストマネジメント、音楽全般のプロダクションを行う
1999年
有限会社ピュアハーツ音楽出版を設立し、音楽出版事業を始める
錦野旦氏の事務所他計4社と、スタープロジェクトを立ち上げ(2年で解消)、プロジェクト内では、声優他若手を中心を発掘、CDデビュー、写真集等のマネジメントを担当する
2000年
オペラ歌手 故 中島啓江所属となる
銀座博品館劇場での中島啓江の「夢で逢いましょう」公演の制作、プロデュースを行う
アーティストCD、企画CDの制作、販売を行う
2001年
ヒップホップR&Bアーティスト JAMOSA(現在テンカラット所属)が所属となる
2002年
JAMOSA(現在テンカラット所属)がニューヨークにてレコーディングし、ユニバーサルミュージックよりデビュー
2006年
株式会社トレジャーハート設立(旧キッズキャンディ)
グループ内の子供モデル、子供の役者のマネジメントを担う※現在は子供に限らず大人も含めマネジメント
2009年
文化の発展向上、住民の健全交流、生涯学習を目的とした「特定非営利活動法人(NPO)音楽で日本の笑顔を」設立、 音楽(合唱)を通して高齢化時代に対応した地域コミュニティーを醸成する為に自主活動団体「スマイル合唱団」を各地に作り始める
2010年
テレビ神奈川でNPO法人の啓発を目的とした番組の制作を行う
子役 青山和也が、フジテレビ開局50周年特別企画、柴崎コウ主演の「わが家の歴史」に出演、翌年フジテレビ 仲間由紀恵主演「美しい隣人」に出演し話題となる
2013年
映画監督 横山浩之氏を校長に招き、芸能全般スクールをスタート
2015年
NPO法人の顧間に安田祥子氏が就任
2016年
ソプラニスタ木村優一が所属となり、同年クラウンレコードよりCDデビュー
2018年
ソプラニスタ木村優一が徳間ジャパンよりセカンドCDを発売
高樹澪氏が所属する株式会社成プロ企画、有限会社エンジェルスクエアと業務提携し、スリーアロウズプロジェクトを立ち上げる
2021年
オウンドメディア「オペラハーツ」をスタート
声楽家ユニット「オペラ忍者」結成
綾野剛主演 関西テレビ10月期 「アバランチ」制作業務を担う